全国大会無縁も箱根駅伝を走るまで〜part1〜



皆さんどうも!



江ノ島ランナーです。





藤沢鎌倉間を江ノ電と競争して


勝ちました!


がんばればいけますよ!(笑)







さてさて、






皆さんの中には




箱根駅伝を走りたい!



実業団選手になりたい!



オリンピックに出たい!



サブ3を実現したい!






様々な目標があるかと思います。










僕の今の目標は体型維持ですが、



その昔は目標を高く持って生活ていました。








ということで、どのような経歴で




箱根駅伝あるいはニューイヤー駅伝


走るに至ったか紹介します。













僕は小学生の頃は野球をしていました。


2〜小6



つまらなかったわけではないですが、


決して楽しくもありませんでした。



球があたると痛いし、バットは重いし。





そうです、昔から身体が細くて


周りのガタイに小学生ながら


差を感じていました。特に56年。




また肘を怪我して足腰のために走っていると、


意外と持久力があることに気づきました。






ということで、野球を続けることをやめ、



中学から陸上部に入りました。









ただ、完全に井の中の蛙


野球チームで少し持久力があっただけで、


実は全然大したことなかったです。




1の初タイムトライアル


200m    36"1

400m    74"7

800m    2'34"

1000m   3'41"

1500m   6'15"




遅いですね。


そこらへんのスポーツ得意系の人に


完全に負けてました。




それでも、なんとなく走るのは楽しくて、



というのも、部活もゆるくて楽だったから、



続けられました。






そして、身体の成長と共にタイムも伸び、




1        1500m    4'45"

             3000m   10'04"



2       1500m    4'21"

             3000m   9'27"




と、タイムを伸ばせました。



特別厳しいことはしていなくて、



朝練は月水金に3キロジョッグ。


午後練は毎日30分ジョッグ+流し






それすらもサボって鬼ごっことかしてました。






でも中3となり、全国が見えて来たことから


練習も真面目に取り組み、1人でプラス


アルファもやるようになりました。




結果、



3        1500m    4'11"

              3000m   9'03"




というタイムを出せました。




どちらも秋に出したため、全国大会は


出場できませんでしたが、速くなりたい!




と思うようになり、高校は長距離の


強豪校へ進学しました。











初めて本格的な練習となった高校では、


朝練は毎日9キロ、午後練は3日に1


ポイント練習で、内容もキツく、


毎日やめたかったです。





急に訪れた地獄!!



先輩も理不尽!!

(今だったら確実に問題になる)



先生も恐い!!

(今だったら確実に問題になる)




それでもなんとか3年間続けて、




1500m    3'58"

5000m   14'48


までタイムを伸ばせました。



しかし、インターハイは程遠く、


駅伝でも都大路には全く手が届かず。。。





全国とは無縁に高校生活も終えました。



高校の3年の夏終わり頃に、某大学の


監督が練習を見に来て、たまたま


スカウトしてもらえました。





高校でやめようと思っていましたが、


せっかく声をかけていただいたし、


これも何かの運命だと思い、親に頼んで


大学でも競技を続けさせてもらうことに


しました。







しかし、進学した大学は箱根駅伝にすら


出ていない大学でした。





しかし、先輩方のおかげで1年の時に


箱根駅伝出が叶うも、最下位。



僕はメンバーにすら入らない。






でも頑張れば箱根駅伝に出られる!!




というニンジンに引き寄せられ、


2から練習も頑張れるようになりました。







タイムも



2     5000m    14'21

          10000m   29'51"



と、当時としてそれなりのタイムで


走ることができ、箱根予選会も61'30"


走ることができました。




その後、2年、3年、4年と3年連続で


箱根駅伝(全て復路)を走ることができ、


運も良かったと思います。


出雲駅伝全日本大学駅伝も走れたし!







そして、4年の夏頃に某実業団から


スカウトしていただき、実業団選手に。



ニューイヤー駅伝4回走ることができ


ました。







こうして書くと、物凄く順風満帆なように


見えますが、本質として伝えたいことは


そうではないのです。






長くなったので、次回ブログにて説明


しますが、実は自分のあまりの能力のなさに


様々な絶望と葛藤とそれに負けないように


頑張って来た背景があります。





周りの選手の能力に負けないための


秘訣を次回お伝えします!!






ぜひ次回も宜しくお願いします!!